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聖徳太子がこの地を自らの廟と決め、推古28年(620年)に墓所を造営。
翌年、太子の母 、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り

更に推古30年(622年)には太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)
とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ、三骨一廟とよばれている。

同年太子の没後、推古天皇が陵墓を守る為に寺を建立、
その後、聖武天皇の勅願により、724年(神亀元年)
東の伽藍を(東福院)転法輪寺、西の伽藍を叡福寺とする七堂伽藍が整備された。

平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場となり、空海や親鸞 、日蓮など多くの高僧も訪れる。
戦国時代末期には織田信長の焼き討ちにより全焼、その後豊臣秀頼により聖霊殿が再建され、
以後次第に再建整備がすすんだ。(叡福寺HPより転載)


毎年お正月はこのお寺の上にある墓所にお参りをして
あたらめて金堂にお参りをするといういつものパターンでした。
ここからの眺めはなかなかよろしいのです。

東に 二上山(にじょうざん)(雄岳)517m (雌岳)474 m
昔は「ふたかみやま」と呼ばれていた。

西には羽曳野丘陵帯が広がり
高校野球の名門PLがあるPLの塔がそびえている。

そして↑に転載した叡福寺というお寺がその中にある。
風景だけを紹介しますね。

二上山
PLの塔
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
叡福寺
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